プロジェクト、 T

ミッション、模索中。

自分というアートプロジェクト、始動。

「なぜか分からないけど、これしかない気がする。」

 

今まで生きてきて、ターニングポイントと呼ばれるであろう出来事が

起こるのはいつも、何かに突き動かされながら、

思い込みともとれる猪突猛進な行動をしている時だ。

 

今でもこの人生が正しいのか分からない。

不安はあるし、怖くなるときもある。

だけど、自然と過去の決断や出来事で後悔することはない。

 

今100%満足かと言われたらそんなことないけど、

でも、過去のどの決断・出来事も、1つでも欠けていたら、

今まで出会ってきた人、出来事、気づきにも出会うことはなかった。

また、どの局面でも、精一杯の誠意を持って、

苦しむ時は限界まで苦しみながら苦渋の決断をした自分に

あれ以上頑張れとは言えない。

そんなこんなで、未来に漠然と得体の知れない恐怖を覚えることはあっても、

過去を悔やむ気にはなれない。

 

トミーとマルシオに出会ったのは、もう8年位も前になる。

当時同棲していた彼氏と、壮絶ドラマを繰り返した末別れる決意をした私は、

新しい住処を探していた。

なぜ一人暮らしではなくて、ハウスシェアという選択肢に行き着いたのかは

今ではもう覚えてない。

クレイグスリストに載っていた、

「ゲイカップル、ルームメイト求む」のルームメイト募集の掲載をみて、

ここだ!と思って猛アタックした。

 

彼らの家は歴史指定エリアにあるとても美しいビクトリア調の家で、

外壁は青に塗られ、ポーチにはスウィングベンチ、

中は、2人の個性的かつ品のあるインテリアで飾り立てられていた。

私の他にも多くの希望者がいたのだろうけど、最終的に私を選んだ理由を

ルシオが後でこう言った。

 

「t-moは歩いて来たからね。」

 

健康志向の人が増えて来たとはいえ、車社会のアメリカ。

ちょっと近所に行くにも、車を使ってしまう人は多い。

そんな中散歩ついでに、と言って歩いて来た私に好意を持ったのだという。

 

トミーとマルシオと実際一緒に住んだのは6ヶ月程。

だけど、その6ヶ月間はとても濃いものだった。

ルームメイトだからといって、常に一緒にいる必要はないのだけど、

休日は一緒にファーマーズマーケットやお祭りに出かけたり、

小旅行に出かけたり、週末はゲイバーで夜明けまで踊りくれた。

平日は仕事帰りが遅い私に夕食をつくっておいてくれたり。

ことあるごとに、「Only the best for you, Tomomistic」と言ってくれた。

大雨が降ったとき「天然のシャワーだ!」とマッパで

駆け出してく2人にビックリしたり。(今だったら一緒に駆け出してくだろうけど)

そして、お互いを思いやるカップルとしての2人に

本当の愛とは、ということをとても考えさせられた。

 

彼らとの6ヶ月はとにかく、愛に満ちていたのだ。

 

彼らは私に、「芸術の一つの形態としての人生の可能性」を教えてくれた。

音楽、絵画、文学。。芸術には様々な形態がある。

創造性を秘めているものなら芸術になる可能性があるのだ。

彼らの生き様を見て、人生そのものが、芸術の一つの形態なのかもしれない、

ということを学んだ。

それは、目から鱗なんて生易しい気付きではなく、

まるでビッグバンから宇宙ができあがったような、

天地が逆転するような衝撃を私にもたらした。

 

仕事の関係で引越すことになり、6ヶ月という短い共同生活を

終えることになったのだが、その6ヶ月で2人は家族のような

もしかしたらそれ以上の愛情を私に注いでくれた。

 

数年後訪れに戻った時、マルシオが言った。

「この家に来た時、t-moはまるで羽がおれてボロボロになった

小鳥のようだった。トミーと僕は、精一杯の愛情をもって

この傷ついた小鳥を元気にしてあげなくちゃいけないと思ったんだよ」

 

その後2人は別れ、カップルではなくなったけど、

私には未だに両親のような存在だ。

彼らと彼らとの生活を思い出すと、とても暖かい気持ちになる。

 

彼らを取り巻く環境や生活はこの8年でだいぶ変わったけど、

彼らの生き方は相変わらず美しい。

その美しさの裏には想像を絶する悲しみや葛藤や苦しみがあることも知ってる。

だからこそ、割れてしまったガラスの破片を集めては

幾度となく光り輝く芸術に変え、

愛することを止めない彼らにはいつも感銘を受ける。

 

彼らに出会ったこと自体、私の人生の中のターニングポイントだ。

彼らに出会ってなかったら、その後出会うことになった沢山の素晴らしい人たちに

出会うことはなかっただろう。

 

8年前のあのルームメイト募集を見て、

なぜか、ここしかない、と思った。

瀕死状態だった私の心の中の何かが最後の力を振り絞って、

行くべき道を示したのかもしれない。

 

8年前、青色の家のドアを入った時から、

私の中で、自分というアートプロジェクトが芽吹き始めたのである。