プロジェクト、 T

ミッション、模索中。

新たな旅にで(て)る


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この2ヶ月心も体も様々移動を繰り返し、

最終的に「歩く旅」に出るという結論に達した。

行き先は前々からやりたいなとは

思っていたアメリカ西海岸をメキシコから

カナダまで縦断するPacific Crest Trail(PCT)。

完歩すれば2660マイル(4256㌔)のこのトレイル、砂漠からアルパインから、レインフォレストまで様々な環境を通り抜ける。

レッドロック系砂漠は大好きだけど、砂埃系砂漠は大嫌いな上、スルーハイカーというタイトルもあんまり興味のない私。元々カリフォルニアは飛ばしてオレゴン/ワシントンだけ歩こうと思ってた。。。

 

んだけど。

 

たまたまアラスカで仲良くなった友人達が今年PCTをやっているのだけど、私が出発できるタイミングで友人の一人が砂漠の真っ只中にいた、ということ、あと気分的に何故か砂漠で自分を追い込まなければいけないようなミッションにかられて、砂漠スタート(しかも一番水分確保が困難な難所)となりました。

 

この数年で出たPCT関連の本/映画の影響でPCTを歩く人の数は年々急増していると聞いてはいたけれど、その人の多さにとにかくビックリする。

私がPCTをやりたかった理由の一つとして、人里を離れて自然に出来るだけ近い時間を長く持つ、というのがあるのだが、初っ端からそれが覆された気がして初日~数日は気が重かった。てか今でも重い。

でも、トレイルの各所で出会う、トレイルエンジェルと呼ばれる人達の優しさや補助には人との関わりの温かみや有り難みをシミジミ感じる。

 

トレイルに来て10日が過ぎたが、考えることは山程ある。

 

みんなそれぞれ違う目的を持って、歩きに来てる。

私も、しかり、だ。

初っ端から足を挫いて始まったこの旅路。

最初の10日は身体的苦痛からはじまってる訳だけど、新たな生活(?)スタイルに体が変化を遂げている証拠だと思ってる。

極めつけの食中毒で2日のゼロデイ(全く歩かない休養の日)を余儀なくされたけど、体調が回復した今は、不思議なもので早くトレイル戻りたいなと思ってる。

さて、今日も歩きに出かけます。
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最小限の持ち物。

バックパッキングが大好きな理由の一つに、

「本当に厳選された必要なものしか持っていないという感覚」がある。

自分の所持しているものが分かっている、ということにやけに

安心感を覚えるのだ。

逆に、荷物が多過ぎるな、ってときは、なんだかどこにも行けない気がして

落ち着かなくなる。

多過ぎる、といっても、容れ物が90Lと60Lのバックパックしかないので、

どんなに多くなっても、この2つに入るくらいしかないんだけど、

この2つがパンパンになったりすると、もう発狂の域である。

 

モノに執着心を持たない、というのは奥の深い悟りだな、と思う。

人並みにモノを持っていた時から、バックパックに収まる位までダウンサイズした時は

大分身軽になってモノへの執着心から解放された気がした。

だけど、今は逆に、持ってるものは少数精鋭のものばかりなので、

愛着も深いし、一点ものだったりするので無くす時は凹む。

そうなると、まだまだモノに執着があるのだな、と認めざるを得ない。

 

モノを持たない生活を始めてからThrift Store(リサイクルショップ)が好きになった。

元々は、工場従業員の労働環境等や使い捨て傾向になりつつあるファッション文化に

疑問を持ったことから、2年前から古着しか買わないことを決め、

通い始めたのだけど、いまや虜。

サイズもデザインもまちまちな中から一点ものを探す、宝探し的な感覚も好きだけど、

行くとなぜか必ず自分の欲しかったもの、必要だったものがたまたまある、

という体験を何回かして、「なんだか何か大きなものが世界を動かしている!」、

なんて感じに陥るのが好きなのだ笑

去年の冬アラスカに移り住んだ時は、Thrift Store初回一回で、必要だとおもったもの

全てがたまたま全部揃っていたという奇跡的ショッピング体験をした。

(中でもソレルのウィンターブーツが$13であった時は何か大きな力を感じざるを得なかった笑)

 

全てを最小限に押さえていると、一番厄介だったのが化粧品類である。

定住していた時は、基礎化粧品だけで何プロダクト使っていたことか。。。

それに加えて、ボディバターとか。。。

でも今は、基本ココナッツオイルか、無ければ他のオイルで顔も含めた全身事足りる。

石けんは出先での運に掛けているので基本持ち歩かない。

持ち歩く時はDr. Bronnerの石けんもしくは石鹸液。

これだけで、体はもちろん髪も洗えるし、必要なら食器も洗える。

天然素材だけでつくったCastile(カスチール)石けんなので

自然の中でも使える*。超便利品である。

(*地域・場所によっては石鹸類は全てだめなところもあるので確認は必要)

 

そんな中、課題として最後まで残っていたのが、

『コンディショナー』!!!

超ロンゲの私としては、欠かせないアイテム。。。

出先のものに掛けると、信じられないくらいごわごわになったりするから

自前したいけど、かさ張るし、少量持ち歩こうとしたら2、3日で終わるし。。

オイルだとベタベタになる上に、水シャワーしかあびれないとき、

固まる笑

手軽で、持ち歩くのも簡単で、安定な使い心地のもの。。。

探してたら、ここに行き着きました↓

 

クエン酸

 

友達が紹介してくれて試し使い、更に色々リサーチしてここに落ち着いた。

髪の毛は元々酸性だけど、シャンプーを含む石鹸類はアルカリ性なので、

コンディショナーは、髪をアルカリ性に戻す役目をしてるんだそう。

前々からリンゴ酢がコンディショナーの代わりとして使える上に

調子いいと聞いたことはあったので、なるほど!感はあった。

ただね、リンゴ酢はね、においがね。。。液体だから持ち歩きも大変だし。

バッグの中でこぼれた日には。。。多分泣く。

 

その点、クエン酸は、身近なドラッグストアで粉で買える。(粉は軽いよ〜。)

これを水に溶かして、お好みでアロマオイルとかで香り付けして使える。

(アロマオイルも軽いよ〜。必需品なので既に結構持ち歩いてるよ〜。)

 

調子は。。。

 

 

 

 

だいぶ良い!

 

 

 

 

洗い立て(流したて?)はなんかきしきしした感じがするけど、

乾かしたときの髪の柔らかさが半端ない!!

ついでに輝きが眩しい!!!

どんなに好きな香りでもコンディショナーの香りってどこか

ねっとり甘っとろくて嫌なんだけど、これはオイルでの香り付けなので

スッキリ感がある。

 

濃縮液のレシピは:

500ミリリットルの水

クエン酸大さじ3

好きな精製油

 

これを洗面器半分くらいのお湯に大さじ3位入れて、

髪の毛全体になじませた後、お湯でゆすぐ。

 

毎回作るようなら:

洗面器一杯のお湯

クエン酸小さじ1くらい(長い髪ならもうちょっと多め)

精製油ちょっと

 

これと合わせてお湯シャンプー(つまりはシャンプーを使わない)

なるものも試しているのですが、今の所調子良い。

元々頭皮の油分は多い方だと思うのだけど、

かゆみやべたつきには問題ない。

石鹸系シャンプーだと2日に1回シャンプーだったのが、

お湯シャンプーだと毎日した方がいいかな、とは思うけど。

けどお湯シャンプーの真の成果が分かるようになるのは

半年くらいかかる、なんて情報もどこかで読んだので、

これはちょっと気を長めに観察していこう。。。

明日は普通シャンプーからのクエン酸リンスの組み合わせも試してみるか。。。

 

 

 

そんな訳で、最小限の持ち物プロジェクト、各方面で続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体のリセット。

昨日生理なるものが来ました。

ここ数年は入れていたIUDを抜いてから初の。

 

私はIUDが入っている間ほっとんど生理はなかった。

元々軽いし期間も短い人は、無くなる人もいるとのこと。

毎月の生理がないってのはめちゃくちゃ楽。

旅しててもいつ来るかも分からんヤツの脅威に脅かされることはない。

だけど、1年位前友達とこのことを話していると、

「え?それって、体に悪くないの?!

生理って色々なものをリセットしてくれるでしょ?」

とのコメント。

超目から鱗もののコメントだった。

(ちなみにこの友人、男です。なんという推察力なんでしょう。)

 

そして今回の生理は、そのコメントを裏取りをとるような

形となっている。

 

そもそも生理痛やPMSというのは、体が生理がくるように

骨盤を開かせようとするあがき(といったら言葉は悪いが)から

くるものらしい。

いわば、出産の陣痛みたいな。

確かにストレスで体が硬直していると骨盤も固まるから、

PMSでストレス発散(イライラ発散)すれば骨盤も開きやすくなる。

頭痛や肩こり、背中の痛みも、痛みがあれば、

なんとかリラックスしようとして休むもんね。

色んな形でサインを出す体。すごいな〜。

 

でも逆をいうと、PMSでイライラストレス発散しようとしてるのに

無理に押さえ込んじゃったり、

体はリラックスしてくださいサイン出してるのに、

聞かなかったりして無理してしまうと生理は来にくい、ということ。

(だから、女性の場合うつの診断の項目に、生理がちゃんと来てるか、ってのが

あるんですな。)

 

今回はまさにそれで、中々来なくてやきもきしてたんだけど、

自分でも気付きもしなかった溜まっていたストレスをうまく解消できた時、

そしてクリエイティブ作業をして心を自由にしてあげたら、来た。

そして面白いことに、クリエイティブ作業をしているときの

出血量が半端ない!おもしろーい!!!

創作するって、心が最大限に開く作業だもんなぁ。

そして何より、生理の経過とともに、なんだか体も心もどんどん軽くなっていく。

しみじみ、色んな毒素が一緒に出てっているんだと実感する。

 

生理があるとやっぱ厄介だけど、こういう体のバロメーターがあると

自分の体調がわかりやすいし、

それが毎月あって、体のリセットをしてくれるって、

女性ってラッキーだな。

 

鶏が先か、卵が先か理論になっちゃうけど、

常日頃から、ストレスなく、自分に正直で自然体に生きている女性は、

生理痛やPMSがない、もしくは軽いのかな。

 

私も昔、部活でめっちゃ体動かしてた時はそれでストレス発散になってたのと

ストレッチも良くやってたから体は常にフレキシブルだったせいか

生理痛なんて殆どなかった。

(PMSはあったかも。でも思春期と重なってて区別はつかないか)。

その後上京した時は、なんかいろんなモノにアレルギー反応起こして、

体にものすごい負担がかかってた訳だけど、

その時の生理痛のひどさといったらなかった。起き上がれなかったもんな〜。

 

この次の周期は徹底してリラックス+体の声聞いて、

それがどう次回生理に影響するか、実験してみよう。

 

人生は実験だ。

 

 

 

 

 

 

自分を思いやれる幸せ

今日、久々にメイクができた。

人にしたら何のことらや、なのだが、私の中では

マイルストーンだ。

 

うつのエピソードが起こると、こんなことが起こる↓

  • シャワー・お風呂に入らない(そんな気力ない)
  • 歯磨きが超×100億劫(こんな日々の習慣さえデカ過ぎるタスクになる)
  • 身だしなみがめちゃくちゃ(気にしてる余裕なんてございません)
  • やたらとジャンクフードを欲する(自己破壊しようとしてます)

もともとお風呂大好き、おしゃれ大好き、食べ物は自然志向な私だけど、

うつに入るとこうなる。

服来て外に出れただけで大達成、よくやったね!と褒めたくなる、

そんな状態なのだ。

 

うつは、通常上下を繰り返す。

私が「エピソード」と呼ぶ期間は、数日から数週間まっったく

布団から起き上がれない状態である。

大きなエピソードは今まで(覚えてるだけで)3回ある。

エピソードが終えると、今度は鬱状態躁状態を繰り返す。

この期間中は、躁状態のときに外出したくなったり、

好きなことができるようになったり、人に会うのもそんなに苦痛ではなくなる。

鬱状態のときには出来ないことが出来るようになるので、

「お!遂に抜け出したか!」と思うのだが、数日後鬱状態

舞い戻り、しゅん、となることもある。

この躁状態と本当の回復を見定めるバロメーターになるのが

「身だしなみを整える、気にかける」というポイントなのだ

(あくまで私の場合だけど)。

 

躁状態の時は、色々アクティブに動くものの、

やっぱり身だしなみを気にかけるという点で何か欠けていて、

回復に近づいてきている躁状態のときは少しは気に掛け始めるのだけど、

上っ面だけでどこか雑、そしてかったるい。

 

この病気になって気付いたんだけど、

日々身だしなみを整えたり気にかけたりするのって、

自分が大事じゃなくちゃできない行為なのだ。

鬱病のときは、自暴自虐で自分の存在意義や価値をとことん、貶める。

だから、人間として当たり前のセルフケアができなくなる。

まるで、そんなことすら値しないんだ、って言ってるように。

どうでもよくなるのだ。全てが。

 

だから、人として、当たり前でごく普通の「身だしなみを整える、気にかける」、

セルフケアをしたいという感覚が戻ってくるということは、

躁病によるフライングではなく、本当の回復のサインなのだ。

 

よって本日、「メイクができた(したい)」、というのは、

お風呂に入って汚れを落とす、歯を磨くという基礎的なセルフケアの

更にワンランク上をいくセルフケア、いやセルフラブの域であり、

私にとって、「脱☆鬱」を意味する、祝杯に値する出来事なのだ。

(特記:スッピンの自分が一番好きだけどね!)

 

真の回復にさしかかると、心身共の健康はもちろん、

自分の体への有り難みがひしひしと湧く。

心が回復するまで、いつも辛抱強く待ってくれるこの体。

どんな自暴自虐にも必死で耐えて、生きていてくれるこの体。

躁状態のときには、時に何週間振りともなるのに大好きなアウトドアに

繰り出して、完全回復への足がかりをくれるこの体。

 

もーーーー!ありがとうーーーー!大好きーーーーーっっ!って

自分で自分抱きしめたくなる。

と、同時にごめん!ほんとごめん!って泣きたくなる。

 

大体、重度の鬱になる前、軽度の鬱くらいには、

体はもうサインをくれている。

肩が凝ったり、頭痛がしたり。

(私の場合自律神経おかしくなりはじめるので、下痢になる)

 

やばいよー、やばいよー、このままいったらやばいですよーって、

体は必死に伝えようとしてる。

だけど、私は体が丈夫な分、いやまだまだいけるっしょ、って

無理しちゃう悪い癖がある。で、結果重度になるまでに至る。

 

でも今回のエピソードと療養過程を経て、本当につくづく思う。

「ちゃんと声、聞いてあげなくて、ごめんね。」

 

丈夫だけど、コンプレックスも多い私の体。

だけど、今回はつくづく思ってる。

この体で生まれてきて良かったって。

そして、今までの分もとことん大事にするね!って。

 

前は、メイクをしたり、おしゃれをしたり、って単にそれ自体が目的で、

特に深い意味はなかった。

だけど、これからは、そこに、自分自身への愛があってからこその

行為になる。

 

人にとっては当たり前のことなのかもしれないけど、

自己肯定力がとてつもなく低く育った私には、

自分を思いやれるって、こんなに暖かくて、こんなに気持ちのよいことなのか、と

ひしひし幸せを噛み締めている。

 

おかえり、私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理由を知ると楽になる。

"We accept the love we think we deserve."

    僕たちは、自分に値すると思う愛を受け入れるんだ。

--- The Perks of Being a Wallflower

 

自分の存在意義の不安定さや、自己肯定力の低さ、

決して健康的とはいえない人間関係の構築の仕方は、

一体どうしてなんだろう。

心に残る一番古い感情の記憶が、寂しい、なのは

なんでなんだろう。

どうして、自分の気持ちに素直になって生きるのが

こんなに難しいんだろう。

 

幾度となくぶち当たる人生の壁で、問題を咀嚼していくと

行き着くこれらの疑問。

在り来たりといったら在り来たりだけど、

掘り進めて行った先にあった答は、生い立ち、

つまりは家庭環境だった。

 

説明しようのなかった自分の行動の意味や

感情が少しでも論理的に説明がつくようになって、

家族との関係はボロボロになったけど、

自分自身は、意味の分からない苦しみが

明確に地図化されたことでちょっと楽になった。

 

まだちょっと咀嚼が足りていないのか、

言語化しようとするとすんなりまとまらないので、

またちょっとずつ小出しで書けるときに書いていこう。

 

 

 

行ったり来たり。

冬の雪。春の日差し。冬の静けさ。春のささやき。

 

この時期は、冬と春行ったり来たりする。

 

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こんなに寒かったり暖かかったり、

雪降ったり溶けたりして、

芽を出し始めてる植物や、冬眠から目覚めようとしている動物達、

自然の中の営みは大丈夫なのかな、なんて思うんだけど、

「最近は行ったり来たりだね」っていう会話、

毎年のように交わされてる気もするから、

移り変わり、というのは、実際はスムーズなものじゃなくて

実は行ったり来たりであたふたな経緯なんだけど

一年というもっと長い尺でみたらスムーズに見えるだけなのかも。

点画の一個一個の点は孤立してるのに、

遠くから見たら全て融合したスムースなアート、みたいな。

 

もう暖かくなって、植物育てようかな、

動物達の子供達を迎えようかな、

うーん、いや、まだちょっと早いかな、

いやいやもう十分土も休まっただろう。。。

なんて優柔不断な議論を、自然さんも悶々と考えている、

そんな時期なのだろうか。

 

人も皆変化の前には行ったり来たり。

こうだ!と思っても、やっぱそうかな、うーん、とか悩んじゃう時もある。

でも、季節は動いてるから、心が決めた方を本当に欲していて、

準備はできていると潜在的に分かっていれば、

悩むことがあって冬に一時的に戻っても、また春に向かう、

と思う。

 

私という地球上での季節の移り変わりはとてもゆっくりのようだけど、

日々日々春に向かっているなぁと感じる。

 

春という時期に一年の始まりを置く日本の文化も、

素晴らしいな、と思う。

 

自分というアートプロジェクト、始動。

「なぜか分からないけど、これしかない気がする。」

 

今まで生きてきて、ターニングポイントと呼ばれるであろう出来事が

起こるのはいつも、何かに突き動かされながら、

思い込みともとれる猪突猛進な行動をしている時だ。

 

今でもこの人生が正しいのか分からない。

不安はあるし、怖くなるときもある。

だけど、自然と過去の決断や出来事で後悔することはない。

 

今100%満足かと言われたらそんなことないけど、

でも、過去のどの決断・出来事も、1つでも欠けていたら、

今まで出会ってきた人、出来事、気づきにも出会うことはなかった。

また、どの局面でも、精一杯の誠意を持って、

苦しむ時は限界まで苦しみながら苦渋の決断をした自分に

あれ以上頑張れとは言えない。

そんなこんなで、未来に漠然と得体の知れない恐怖を覚えることはあっても、

過去を悔やむ気にはなれない。

 

トミーとマルシオに出会ったのは、もう8年位も前になる。

当時同棲していた彼氏と、壮絶ドラマを繰り返した末別れる決意をした私は、

新しい住処を探していた。

なぜ一人暮らしではなくて、ハウスシェアという選択肢に行き着いたのかは

今ではもう覚えてない。

クレイグスリストに載っていた、

「ゲイカップル、ルームメイト求む」のルームメイト募集の掲載をみて、

ここだ!と思って猛アタックした。

 

彼らの家は歴史指定エリアにあるとても美しいビクトリア調の家で、

外壁は青に塗られ、ポーチにはスウィングベンチ、

中は、2人の個性的かつ品のあるインテリアで飾り立てられていた。

私の他にも多くの希望者がいたのだろうけど、最終的に私を選んだ理由を

ルシオが後でこう言った。

 

「t-moは歩いて来たからね。」

 

健康志向の人が増えて来たとはいえ、車社会のアメリカ。

ちょっと近所に行くにも、車を使ってしまう人は多い。

そんな中散歩ついでに、と言って歩いて来た私に好意を持ったのだという。

 

トミーとマルシオと実際一緒に住んだのは6ヶ月程。

だけど、その6ヶ月間はとても濃いものだった。

ルームメイトだからといって、常に一緒にいる必要はないのだけど、

休日は一緒にファーマーズマーケットやお祭りに出かけたり、

小旅行に出かけたり、週末はゲイバーで夜明けまで踊りくれた。

平日は仕事帰りが遅い私に夕食をつくっておいてくれたり。

ことあるごとに、「Only the best for you, Tomomistic」と言ってくれた。

大雨が降ったとき「天然のシャワーだ!」とマッパで

駆け出してく2人にビックリしたり。(今だったら一緒に駆け出してくだろうけど)

そして、お互いを思いやるカップルとしての2人に

本当の愛とは、ということをとても考えさせられた。

 

彼らとの6ヶ月はとにかく、愛に満ちていたのだ。

 

彼らは私に、「芸術の一つの形態としての人生の可能性」を教えてくれた。

音楽、絵画、文学。。芸術には様々な形態がある。

創造性を秘めているものなら芸術になる可能性があるのだ。

彼らの生き様を見て、人生そのものが、芸術の一つの形態なのかもしれない、

ということを学んだ。

それは、目から鱗なんて生易しい気付きではなく、

まるでビッグバンから宇宙ができあがったような、

天地が逆転するような衝撃を私にもたらした。

 

仕事の関係で引越すことになり、6ヶ月という短い共同生活を

終えることになったのだが、その6ヶ月で2人は家族のような

もしかしたらそれ以上の愛情を私に注いでくれた。

 

数年後訪れに戻った時、マルシオが言った。

「この家に来た時、t-moはまるで羽がおれてボロボロになった

小鳥のようだった。トミーと僕は、精一杯の愛情をもって

この傷ついた小鳥を元気にしてあげなくちゃいけないと思ったんだよ」

 

その後2人は別れ、カップルではなくなったけど、

私には未だに両親のような存在だ。

彼らと彼らとの生活を思い出すと、とても暖かい気持ちになる。

 

彼らを取り巻く環境や生活はこの8年でだいぶ変わったけど、

彼らの生き方は相変わらず美しい。

その美しさの裏には想像を絶する悲しみや葛藤や苦しみがあることも知ってる。

だからこそ、割れてしまったガラスの破片を集めては

幾度となく光り輝く芸術に変え、

愛することを止めない彼らにはいつも感銘を受ける。

 

彼らに出会ったこと自体、私の人生の中のターニングポイントだ。

彼らに出会ってなかったら、その後出会うことになった沢山の素晴らしい人たちに

出会うことはなかっただろう。

 

8年前のあのルームメイト募集を見て、

なぜか、ここしかない、と思った。

瀕死状態だった私の心の中の何かが最後の力を振り絞って、

行くべき道を示したのかもしれない。

 

8年前、青色の家のドアを入った時から、

私の中で、自分というアートプロジェクトが芽吹き始めたのである。